政治家とホームページ

政治家とホームページ

ウェブサイト等を利用した選挙運動

2013年の参院選から、選挙運動において、インターネットを介することが可能となった。我が国の、選挙運動におけるインターネットの導入は、世界的に見ると遅延の傾向にあるらしい。

しかし、遅すぎることはなかろう。選挙運動のインターネットの介入から4年程が経過した今、それらについて再考してみようと思う。

日本人は、兎角、礼儀作法に厳しい。例えば、御中元や御歳暮のシーズンは、デパートの一角を催事の名のもとに広々と展開させ、集客による利益を求める。

古くより、政治家への贈答品は禁止事項ではある。しかし、彼らとて、無礼と片付けられるのは些か忍びない。ホームページを通して、出馬の挨拶、選挙後の御礼の挨拶が可能になったのだ。

「宣伝」としか思わない有権者もあるかもしれない。しかし、ひとりの政治家が、どのような経緯で、どのような気持ちで今ここにあるのか、また、当選・落選に関わらず、きっちりと報告することで一連の流れに終止符を打つことは、大切なのではなかろうか。

ホームページの普及は、日本人を流浪の民と為らしめている要素の一つだ。情報化社会をあてもなく歩む人々にこそ、始まりと終わりをきっちりと示すことで、人は情報の激流の中に、自らの定住地を見出せるのではないかと思う。

また、選挙の候補者等、政治的な立場にある者だけでなく、有権者側のインターネット活用も盛んであるようだ。

特定の候補者を、自らの製作物により、応援することが可能なのだ。これは、画期的な進展だと思う。選挙カーに乗り演説を繰り広げる候補者を、拍手をもって称賛することしかかなわなかった。演説会に遥々と赴いても、「頑張ってください」「支持しますから」と、月並みな会話のうちに握手を介すまでが関の山で、一参加者、一傍観者に過ぎなかった。

現在では、例えばYoutubeを使い、政治家の応援動画を作ること等が許可されている。この、傍観から参加への進展は、非常に大きな意義があるように思う。政治家へ積極的に働きかけられる空間は、有権者にとって特別なものだろう。

支持とは、政治家と有権者の狭間に淀む液体のようなものだ。支持の仕方は、それぞれであるので、液体は、時に納まりきれずに、はみ出すかもしれない。そこには、選挙法や、種々の禁止事項がそびえ立ち、はみ出すことを許可しようとしないだろう。

しかし、それらの難問をクリアした時、その固定観念の外側の部分に、「個性」というかたちで、また斬新な支持の方法が創り出されるのだと思う。また、ムージルは著書『特性のない男』において、「指輪は、円の空間がない限り指輪ではない」と述べている。

無味乾燥に見えることもある、政治という社会に、我々が「支持」という形で積極的に介入していくことで、それらは形を成し、生気を帯びるのではなかろうか。

モバイル・ファースト・インデックス

昨今、特に言及されることが多いのは、ホームページの、スマートフォンへの対応化である。2016年には、インターネット機能を、スマートフォンを介して利用する人の数が、パソコンを経由する人を超えたという報告がなされている。

Googleは、既に「MFI(モバイル・ファースト・インデックス)」という新たな方針を打ち出してきている。簡潔に言えば、情報の中身を、パソコンからではなく、スマートフォンによって分別し、検索結果に反映させていくという方針である。

例えば、ある情報提供において、パソコンの中身が、どんなに充実した素晴らしい内容であっても、スマートフォンの中身が、未だ対応しきれずに手薄であったり、中途半端な発展途上であった場合、検索結果の上位への食い込みが困難になるというシステムだ。

情報化社会ならではの、手厳しい現実である。しかし、電車やバスを利用しても、道行く誰もがスマートフォンを片手に歩む現代社会においては、見つめることを回避できない現状がある。

現代における政治家の政治活動において、ホームページのスマートフォン対応化は、必須項目の第一に掲げざるを得ないのが事実である。

日本の政治家としての自分へ

政治家は、ホームページという媒体を通して、一個人としての自分を、日本の政治家としての自分へと昇降させることが可能だ。一見するに、街頭演説で日本中を行脚するよりも、容易くも思われる。

しかし、個人情報の取り扱い、例えば、各種のSNS機能は駆使できるものの、電子メールは不可である等、細かな取り決めに敏感に反応し、即座にアクションを起こすことは難しいと思う。迅速に対応するための、対処策を講じる必要がある。

人は独りでは何もできない。それは政治家であっても同じことで、所属する党があり、党首があり、議会があり、国会があり、首相がある。そして何よりも、日本の政治組織を、商業や興業を通して、縁の下から支え持つ、力持ちの日本国民があることを忘れてはならないと思う。

「日の丸」という看板を堂々と引っ提げて、各々が各々の生活文化圏において闊歩できるような日本を、創っていくべきだと思う。そして、東京五輪を目前に控える今こそ、全国民と共に立ち上がる時が、実にタイムリーに到来しているのではないだろうか。